ブルース・スプリングスティーン
ブルース・スプリングスティーン(Bruce Springsteen, 1949年9月23日 - )は、アメリカ合衆国ニュージャージー州フリーホールド出身の歌手、ギタリスト、作詞家、作曲家。父はオランダ系とアイルランド系の混血のトラック運転手、母はイタリア系アメリカ人。敬虔なカトリック教徒。
アメリカを代表するロックン・ローラー。通称は「ボス(Boss)」。初期の作品においては、青春群像の描写に際立った才能を示したが、やがて社会的なテーマを作品に織り込むことによって、アメリカ民衆の声を代弁する存在へと成長した。ウッディ・ガスリーの後継的な立場にあるアーティストの一人である。
エルヴィス・プレスリーに憧れてギターを始めた。10代半ばから、地元ニュージャージーで数々のアマチュア・バンドに参加。1969年に結成したスティール・ミルというハードロック・バンドは、西海岸に演奏旅行に出かけた際に、ビル・グラハムからデモ・レコーディングの機会を与えられ、更にレコード契約を提示されるほどの評価を得た(結果的にレコード・デビューはしていない)。1971年の同バンド解散後は、リズム・アンド・ブルースの要素を取り入れたブルース・スプリングスティーン・バンドというグループを結成するも、仕事の不足からあえなく短期間で解散している。
前述のバンド解散後はソロで活動をしていたが、1972年に若手音楽ビジネス家のマイク・アペルと出会い、才能を見込まれてマネージメント、レコード・プロデュース及び音楽出版契約を結ぶ(のちにこの契約が原因となって訴訟問題が起こる)。その後、大手レコード会社CBSの伝説的A&Rマン、ジョン・ハモンドのオーディションを受ける。ハモンドはその才能を絶賛、結果1973年1月に『アズベリーパークからの挨拶 (Greetings From Asubry Park, N.J.) 』でレコードデビューする運びとなった。
デビュー当初は「第二のディラン」というキャッチ・フレーズで、シンガーソングライター的な扱いでのプロモーションを受けた。あくまでロックン・ローラーとしての活動にこだわっていた本人は、そのギャップに苦しむことになった。セールス的にはまったく振るわず、クラブ・サーキット中心のライヴ活動に活路を求めた。
1973年11月にセカンド・アルバム『青春の叫び (The Wild, The Innocent & The E Street Shffule) 』を発表。評論家からは高い評価を得た。一方で地道なライヴ活動が実を結び、圧倒的なパフォーマンスが評判を呼ぶ。
1974年にライヴを観たロック評論家ジョン・ランドーはリアルペーパー誌に「私はロックン・ロールの未来を観た」と絶賛のコラムを掲載する。そのランドーをプロデューサーに招いて製作された1975年のサード・アルバム『明日なき暴走 (Born To Run) 』は発売1週間後にチャートトップ10に入り、10月18日付けチャートで3位となるヒットとなる。また、タイム誌とニューズウィーク誌の表紙を同時に飾るという快挙も成し遂げる。
だが、ジョン・ランドーのプロデュース参加や曲の著作権を巡って、マネージャーのマイク・アペルとトラブルになり、1976年に裁判となる。最終的には1977年に法廷外での和解となり、アペルとの関係を解消したが、レコーディング活動は2年間休止した。なお、ランドーは後にスプリングスティーンのマネージャーとなっている。
前作より3年のブランクの後、1978年にアルバム『闇に吠える街 (Darkness On The Edge Of Town) 』を発表する。前作のセールスには及ばなかったものの、その後のライヴでの主要レパートリーが多く収録されたアルバムとなった。アルバム発表後に行われた全米ツアーでのパフォーマンスの凄まじさは伝説となっている。……
(Wikipedia: ブルース・スプリングスティーン)