デフ・レパード
デフ・レパード (Def Leppard) はイギリスのハードロックバンドである。1980年代はじめにアイアン・メイデン、サクソンなどとNWOBHM (New Wave Of British Heavy Metal) ムーヴメントの中心的存在となった(彼ら自身はNWOBHMバンドに括られることを嫌っている)。現在でもボン・ジョヴィ (Bon Jovi) 、モトリー・クルー (Motley Crue) 、エアロスミス (Aerosmith) 、アイアン・メイデン (Iron Maiden) 、キッス (Kiss) 、ジューダス・プリースト (Judas Priest) 、メタリカ (Metallica) 、AC/DCなどと並んでメジャーな現役ハードロック・ヘヴィメタルバンドのひとつである。
1977年にシェフィールドで結成されたアトミック・マス (Atomic Mass) が母体で、1978年にデフ・レパード結成。ちなみに初期のバンド名のスペルは DEAF LEOPARD だったが、「耳の不自由な豹」という名前が当時隆盛のパンク・バンドに間違われることを嫌い、DEF LEPPARD と改変した
1980年に1stアルバム『オン・スルー・ザ・ナイト』 (On through the Night) でレコードデビューを果たした。1981年には2ndアルバム『ハイ・アンド・ドライ』 (High 'N' Dry) を発表した。
1982年にピート・ウィルス (G) が脱退、メンバーと旧知であった元ガール (Girl) のギタリスト・フィル・コリンが加わり、3rdアルバム『炎のターゲット』 (Pyromania) を発表し、その地位を確立した。『炎のターゲット』はマイケル・ジャクソンの『スリラー』が居座っていたため全米1位は獲得できなかったが、それに次ぐ全米2位を記録し、現在では全世界で1000万枚以上を売り上げている。
1984年12月31日、リック・アレンが交通事故で左肩を切断してしまう。既に新作の製作が始まっており、ドラマーである彼及び、団結力の強いデフ・レパードにとっては絶望的とも言えるピンチとなった。サブドラマーを加入させる案もあったが、片腕でも演奏出来る特殊なドラムセットが彼に与えられ、彼自身の努力と腕の良さもあって、復帰に成功した。プロデューサー問題でしばらく揺れていた彼らであったが、結局、前作と前々作と同じく彼らにとっての最高のプロデューサーマット・ラングを迎え、1987年8月3日に4枚目のアルバム『ヒステリア』 (Hysteria) を発表した。このアルバムは全曲シングルカット可能と言ってもいい程の出来の良さに加え、MTVを発端としたHR/HMブームにも乗り、全世界で1600万枚を売り上げている。このアルバムからは『ラヴ・バイツ』 (Love Bites) が全米シングルチャート1位を記録したほか『シュガー・オン・ミー』 (Pour Some Sugar on Me)、 『アーマゲドン』 (Armageddon It) の2曲も全米シングルチャートのTOP3にチャートインし、この『ヒステリア』からは計6曲のヒットシングルが生まれた。これは現時点でハード・ロック・バンドが発表した1枚のアルバムからのシングルヒット曲数において1位である。
1991年1月8日にギタリスト・スティーヴ・クラークが死亡した。死因はアルコールと薬物(精神安定剤と鎮痛薬)の過剰摂取と見られている。メインソングライターであったスティーヴの死により、制作途中であったアルバムの完成が不安視されたが、スティーヴのパートはフィルが埋め、1992年3月30日に5枚目のアルバム『アドレナライズ』 (Adrenalize) を発表した。スティーヴ不在を感じさせない素晴らしい出来となり、ファンを安心させると共に『アドレナライズ』も爆発的にヒットし、15カ国で1位を記録、全世界で700万枚以上売り上げた。
そのまま4人で活動を続けるかとも思われていた彼らだったが、元ディオ (Dio) 、ホワイトスネイク (Whitesnake) のギタリスト、ヴィヴィアン・キャンベルを加入させ5人で再スタートを切ることとなった。翌年の1993年にはB面曲、未発表曲等を集めたアルバム『レトロアクティヴ』 (Retro Active) をリリースした。このアルバムからは『トゥー・ステップス・ビハインド』 (Two Steps Behind) が映画『ラスト・アクション・ヒーロー』のサントラに使われヒットした。
1995年には彼ら初のベストアルバム『デフ・レパード・グレイテスト・ヒッツ』 (Vault: Def Leppard's Greatest Hits (1980-1995) ) をリリースした。
1996年に4年ぶりのスタジオ・アルバム『スラング』 (Slang) をリリースしたが、サウンドがその時代の主流であったダークなオルタナティブ的要素が感じられるものであったため、ファンの間では賛否両論となり、セールス的にも前作や前々作に比べると伸びなかったが、決して出来の悪いアルバムではない。
1999年4月にリリースされた『ユーフォリア』 (Euphoria) は、そのタイトルの語尾iaからもわかるように、彼ららしいサウンドが復活しファンを喜ばせた。特別プロデューサーに長年のパートナーであるマット・ラングを迎え制作されたこのアルバムは、セールスこそ全盛期の作品には追いつかないものの、前作の不評を払拭し、デフ・レパード健在を印象づけた。このアルバムからの先行シングル『プロミセス』 (Promises) がヒットし、メインストリーム・ロックのチャートで3週間1位をキープした。
2001年には彼らのドキュメンタリーDVD『Hysteria - The Def Leppard Story』をリリースした。
2002年7月には彼らの10枚目となるスタジオアルバム『X』 (X) をリリースした。サウンドは彼ら独特のものであるが、全体的にポップな仕上がりとなっており、外部ソングライターを起用したり、ギターソロが少ないなど従来とは違ったアプローチもある。結果、全米初登場で11位を記録するもすぐにトップ40のチャートから姿を消し、彼らの中で最も売り上げの悪いアルバムとなってしまった。このアルバムのツアーは、彼らと彼らの所属するレコード会社との関係が悪かったために、レコード会社からのサポートを受けずに自費で行った。アルバムの売れ行きとは裏腹に、10000人程度収容できる会場をメインに行われた北米ツアーはほぼ満席で、ツアーは大成功に終わった。
2004年にはイギリスで『Best Of』、2005年にはアメリカで『Rock of Ages: The Definitive Collection』のベストアルバムをリリースし、それぞれ最高位6位、10位を記録した。また2005年7月にフィラデルフィアで行われたLIVE 8(ライブ・エイト)に参加した。
2006年5月23日(日本発売6月28日)にカバーアルバム『Yeah!~イエーイ』 (Yeah!) をリリースした。……
(Wikipedia: デフ・レパード)