カジャ・グー・グー (Kajagoogoo)

カジャ・グー・グー
カジャグーグー(Kajagoogoo)は1983年にリマールにバンド形態のArt Nouveau(当時はThe Handstands)に加わる形で結成されたイギリスの音楽グループである。

来歴
結成
1979年、ロンドン近郊のレイトン・バザードで同じ学校の友人であったニコラス・ベッグス、スチュワート・二ール、マネージャー役のポール・ライアンと、別の学校の友人であったスティーヴ・アスキュー、ジェレミー・ストロード(Jeremy Strode)は当初はそれぞれ別々のバンドで活動をしていたが、ジェズがアルバイトしていた「エンジェルカーズ」という倉庫でジャムセッションを行う事になって、5人は意気投合、アール・ヌーヴォーを結成し本格的なバンド活動を開始した。彼らは、ジンピードレイクレコードから100枚だけプレスしたシングル"Fear Machine"を発表し、パブやクラブを中心にライブ活動をしていたが、アール・ヌーヴォーとして中々芽が出なかった彼らは新たにボーカリストを探し始めていた。

1980年、俳優と歌手を目指していたクリストファー・ハミル(Christopher Hamill、後のリマール)は2枚のシングル"It's Christmas"と"Angel"を発表し、メジャーデビューを目指していた。 その後もソロ名義で"Who Shall I Be Today"や、Krisという名前でデュエットした"Strange Kinda Love"などを歌ったがヒットに結びつかず、新たにバンドのボーカリストとして道を模索し始め、雑誌「Melody Maker」にバンド募集の広告を掲載した。広告を掲載した後、100組近いバンドと会ったがどれもパッとせず、一時渡米し、戻った時にボーカリストを探していたニックから連絡をもらい、ニックが送った"Fear Machine"を聴いて一気に気に入り、バンド加入を決めた(特にB面の"Animal Instincts"が気に入って、後にリマールのヴォーカルで録音し直し、"Ooh To Be Ah"のカップリングとして収録された)。

加入と同時にハミル(Hamill)は名前の綴りの配列を変えてリマール(Limahl)と名乗り、バンド名もその頃のThe Handstandsからカジャグーグー(Kajagoogoo)に変更した。このバンド名は赤ん坊の泣き声である「おぎゃあおぎゃあ」という意味のある「GagaGooGoo」をちょっともじった程度に変更したものである。

5人になったカジャグーグーはメジャーデビューへ向けて曲作りに励んだ。当時の彼らはエルトンジョンのカバーや、"Ever So Lonely"、"Don't You Want Me"など未発表のオリジナル曲を作っていた。 中でも"Shy Shy"(後の"Too Shy")や、"Ooh To Be A"(後の"Ooh To Be Ah")は完成度が高く、ライブでも評判は良かった。

1981 - 1985年 1981年にデュラン・デュランのサイモン・ル・ボンのガールフレンドがリマールと知り合いで、その関係から新たなバンドプロデュースをしたがっていたニック・ローズを紹介され、ニック・ローズが彼らをEMI ロンドンに紹介する形でメジャーデビューを果たす。

1982年デビューに当たってシングルを選曲する際に、プロデューサーを務めたニック・ローズとデュラン・デュランのアルバムのプロデュースをしたコリン・サーストン(Colin Thurston)が共に一番気に入っていた"Shy Shy"を若干、歌い方を変え、タイトルも"Too Shy"として発表、同様に"Ooh To Be A"も"Ooh To Be Ah"と変更して2ndシングルとして準備した。

1982年12月、1stシングル"Too Shy"を発表、翌年1月にはUKチャート1位になり、「デビュー曲でNo.1」の快挙をはたす(その他、ヨーロッパ7ヶ国でも1位となる US:5位)。

同年、4月には2ndシングル"Ooh To Be Ah"と、1stアルバム"White Feathers"(プロデューサーはニック・ローズとコリン・サーストン)を発表、シングルはチャート7位まで上がる。6月には3rdシングル"Hang On Now"を発表、チャート13位まで上がる。その頃、アメリカではイギリスより遅れて発表された"Too Shy"がUSビルボード誌で5 位まで上がり、それに気を良くしたリマールはミキサーのティム・パルマーと共に"Hang On Now"のリミックス盤をアメリカ版シングル(US:78位)として発表した。

同時期に行っていたイギリスツアーも好評で順調に活動している様に思えたが、ツアー終了後の7月に表向きは「音楽の方向性の違い」を理由にリマールが脱退する(実情は「音楽の方向性の違い」では無く、リマールが"Too Shy"や他の曲の作詞、作曲に関するギャランティの事で、配当の50%という法外な割合をバンドに要求した事で、均等配当を考えていたニック達やマネージャーのポール・ライアンを困惑させた事が原因で、ジェズはリマールの要求にある程度理解したものの、マネージャーを含んだ他の4人は否定的だった事から、リマールと彼らの仲に溝が出来た事で、クビにされたのが本当の理由だった)。

1983年8月、4人に戻ったカジャグーグーはニューヨークに行った事をモチーフに作った新曲"Big Apple"を発表、前作と同じくコリン・サーストンをプロデューサーに迎え、前シングルを上回るチャート8位まで上がる(このC/W"Monochromatic"ではニックの声で歌われているが、曲の頭と終わりのライブMCを良く聴くとリマールの声になっている、アール・ヌーヴォ時代の曲)。

ソロになったリマールは"Hang On Now"で手を組んだティム・パルマーと、ファッションのディー・ハリスと共に12月に1stシングル"Only For Love"を発表する。リマールはこの翌年1月に東京音楽祭に参加、銀賞を受賞する。ここに審査員で来ていたジョルジオ・モロダーと出会い、才能を見出される。

カジャグーグーは1984年3月に"The Lion's Mouth"(UK:25位)を発表、ニックはこの曲からギターとベースを兼用した楽器チャップマン・スティックを使い始める。同年5月には2ndアルバム"Islands"と6枚目のシングル"Turn Your Back On Me"(UK:47位)を同時に発表する。ニックはこの頃にファッションのマリガンと組んでImmac Logicを結成し、チャップマン・スティックで弾いた"Bolero"の12インチシングルを発表した。

その後、アルバムの発表を期にワールドツアーに出て、7月と9月に2度来日し、その9月には来日記念盤として日本用に"The Power To Forgive"をシングルカットしている。一方、リマールの方は5月に2ndシングル"Too Much Trouble"を発表、9月には1stアルバム"Don't Suppose"を発表した。   カジャグーグーは日本のツアー後、"Turn Your Back On Me"のリミックス盤をアメリカ用に発表、当初はミニアルバムとして発表する予定を急遽アルバムに入れ直し、タイトルも"Islands"から"Extra Play"に変更、過去のイメージを一新しようとバンド名もカジャ(Kaja)と短く改名した(アメリカでは後で同名のミニアルバムも発売された)。

改名が功を奏したのか"Turn Your Back On Me"の12インチシングル(Flipped Disc Mix)は、1985年4月の2週間ビルボードダンスチャートで2位まで上がり、"Too Shy"以来の久々のヒットとなった(当時ブレイクダンスブームで、新宿や六本木のディスコでは良く使われていた)。

同じころ、リマールは東京音楽祭で知り合ったジョルジオ・モロダーから映画「ネバーエンディング・ストーリー」のテーマを歌う依頼が入り、その申し入れを受ける形で3rdシングルとして発表、世界18ヶ国で1位に成り"Too Shy"を上回る大ヒットとなった。また、ドイツ語圏を中心に4枚目のシングル"Tar Beach"のリミックス盤を発表、こちらも急遽予定していたミニアルバムを変更して、1stアルバム"Don't Suppose"に2枚のシングルを入れ直して発表した。

1985年7月頃、カジャは3rdアルバムのレコーディング中にドラムスのジェズが脱退、アルバム自身は8割方完成していたが、急遽ドラムスをDave Mattocksに変更して完成にこぎつけ、9月に"Crazy Peoples Right To Speak"と、シングル"Shouldn't Do That"(UK:63位・邦題:涙の傷あと)を発表する(このシングルは当初、映画の挿入歌になる予定だったが、ボツになったそうで、これはアメリカで「カジャ」と改名した後ヒットした余波は、ヨーロッパではそれ程でもなく、「カジャグーグー」の知名度と比べると見劣りする事で、改名が逆効果となった。またジェズの脱退理由は公式には発表されていないが、過去のリマールの問題が少なからず影響し、バンドの先行きを懸念した事が本当の理由らしい)。 その後、アルバム未収録の"Hurricane"と"Whatever You Want"の2曲を加えた"Shouldn't Do That"のダブルシングルをイギリスで発表したが、プロモート上の問題で"Shouldn't Do That"発表を最後に解散する事が決まり、年末に解散、メンバーは別々に新たな道を探すべく、ソロ活動を始める。

リマールの方は"The Never Ending Story"をヒットさせた後にニューヨークのミキサー、ジェリー・ビーンと"Compromise"(未発表)を製作、その後ジョルジオ・モロダーと2ndアルバム作りに取り掛かり、1986年にシングル"Love In Your Eyes"(当時の三菱「デリカ」のCMソング)を発表、同年5月に2ndアルバム"Colour All My Days"と、ソロ6枚目のシングル"Inside To Outside"を発表する。

そんな頃、EMIレコードの関係から本田美奈子のアルバム"CANCEL"にカジャ解散後のニックとリマールに作曲の依頼が入り、ニックが"Lovesong For Somebody"を、リマールが“24時間の反抗”を提供している。その後リマールも1987年にレコード会社との契約が切れて、しばらく活動休止になる。……
(Wikipedia: カジャ・グー・グー)

 
ホーム > オルタナティヴ/パンク > カジャ・グー・グー