ポール・マッカートニー (Paul McCartney)

ポール・マッカートニー
ジェームズ・ポール・マッカートニー MBE (Sir James Paul McCartney, MBE, 1942年6月18日 - )は、イギリスのリヴァプールに生まれたロックミュージシャンである。1960年代に世界を席巻したザ・ビートルズの中心メンバーで、ジョン・レノンとの作曲家コンビで代表作の多くを手がけた。ギネスワールドレコーズには「ポピュラー音楽史上最も成功した作曲家」「ゴールドディスクの最多保持者」「最多レコード売り上げミュージシャン」として認定されている。

1997年ナイトに叙勲されSir/サーの称号を得る。

ファースト・ネームはジェームズなのでジェームズ・マッカートニーとしても良いのだが、父親も同じジェームズというの名前の為、ミドル・ネームのポールを通常の名前として用いている。

親しみやすく美しいメロディの作風に特色があり、ビートルズ時代においては「イエスタデイ」「ヘイ・ジュード」「レット・イット・ビー」「ミッシェル」「オブラディ・オブラダ」など、ビートルズの代表曲とされる楽曲の多くを手がけた。

ベーシストとしての評価が高いが、他にもアコースティック・ギターやエレキギター、ピアノ、キーボード、ドラム、また管楽器をも扱うマルチプレイヤーである。特にビートルズのデビュー前、スチュワート・サトクリフ在籍時はギタリストであり、また時折ドラマーを務めたこともあったため、「タックスマン」「涙の乗車券」などビートルズ時代のいくつかの曲でリード・ギターを担当し、また「バック・イン・ザ・USSR」「ディア・プルーデンス」「ジョンとヨーコのバラード」などでドラムを叩いている。

ビートルズ解散後、初のソロアルバム「マッカートニー」ではすべての楽器を自らがマルチレコーディングしたのをはじめ、ウイングスの名盤「バンド・オン・ザ・ラン」でもギターやドラムを担当するなど、そのマルチプレイには特筆すべきものがある。

解散後の70年代には、ウイングスのリーダーとして、80年代以降はソロ・アーティストとして活動し、全米チャートの首位に9曲、トップ20に20曲以上を送り込んでいる。ウイングス以降のバンド活動においても、ビートルズ時代の担当楽器であったベースを担当している。

「愛と平和」のオフィシャルイメージでステータスを持ち、衝撃的な死を遂げた元パートナーのジョン・レノンと比較され過小評価されることが多いが、その音楽性は非常に幅広く、また様々な新要素を取り入れ続ける貪欲さが彼の音楽の大きな魅力を形成している。……
(Wikipedia: ポール・マッカートニー)

 
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