ピーター・ポール&マリー (Peter, Paul & Mary)

ピーター・ポール&マリー
ピーター・ポール&マリー(Peter・Paul and Mary)は、1960年代のアメリカで最も成功したフォークソング・グループの一つ。ピーター・ヤロー(Peter Yarrow)、ノエル・ポール・ストゥーキー(Noel Paul Stookey )とメアリー・トラヴァース(Mary Travers)のトリオ。ベトナム反戦のメッセージを全世界に送り出した。通称PP&M。

このグループは、「背の高いブロンド(トラバース)、陽気なやつ(ストーキー)、そして見た目の良い気のいいやつ(ヤロー)」を揃えた「スーパーグループ」をイメージしたマネージャー、アルバート・グロスマンによって生み出されたものである。彼はこのグループを1961年に旗揚げさせ、早速にニューヨークのグリニッジヴィレッジのコーヒー店「ビターエンド」に出演させた。ここは卯年フォークソングを聴くには人気の店であった。グループは、翌年にはファーストアルバム「ピーター・ポール&マリー 」をリリース。それには、「500マイル」、「レモンツリー」、「花はどこへ行った」、そしてピート・シーガー編曲の「天使のハンマー」(ハンマーソング)が含まれていた。アルバムは、ビルボード誌のトップ10に10ヶ月君臨し、トップ100に3年以上にわたり留まった。

1963年、彼らは、3枚のアルバムを録音し、新曲「パフ」をリリースした。これは、ヤローと彼の友人でコーネル大学の学生レオナルド・リプトンがもともと1959年に作詞作曲したものである。1963年のワシントン大行進では「天使のハンマー」が歌われた。マーティン・ルーサー・キングがかの有名な演説「私には夢がある」(I Have a Dream)を語ったのは、この行進の際である。彼等の最大のヒットは、ボブ・ディラン の「風に吹かれて」でこれは世界中での大ヒットとなっている。これが、ワーナー・ブラザース・レコードに移籍しての最初のシングルカット曲でもあった。その後長くグループは、アメリカ合衆国の公民権運動やその他の社会的正義を主導する運動の第一線に立ち続けた。後年のヒット曲「悲しみのジェット・プレイン」は、当時全くの無名だったジョン・デンバーによって書かれた。

グループは、ソロ活動のために1970年解散するが、グループとして活動していた当時程の成功を収めることはできなかった。唯一の例外はストーキーの「ウェディングソング(There Is Love)」で、これはヤーローが、上院議員ユージン・マッカーシーの姪メアリーべス・マッカーシーと結婚する際にその結婚式のために作曲されたもので、ちょっとしたヒットとなり、1971年のリリース以来結婚式のスタンダードナンバーとなっている。

1978年に彼らは原発反対運動の支援コンサートのために再結成し、一緒にアルバムを製作し、以来一緒にコンサートツアーを行ってきた。彼らは年間40回のコンサートを毎年行ってきた。

1999年、ヴォーカルグループ殿堂入り。

2005年、メアリー・トラバースが白血病と診断され、その年のコンサートツアーはキャンセルされた。しかし彼女は骨髄移植を受けて、無事健康を取り戻した。

彼女とメンバーの他の2人は、2005年12月9日コンサートツアーをカーネギーホールでの日曜コンサートで締めくくり、2006年にはさらに追加のコンサートが予定されている。

2007年2月、北朝鮮による日本人拉致問題の解決(=横田めぐみ救出と北朝鮮の譲歩)を願う「Song for Megumi」を発表。収益は滋・早紀江夫妻の活動に使用される予定。2007年5月に来日し、拉致被害者支援コンサートを開く予定。……
(Wikipedia: ピーター・ポール&マリー)

 
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