ラモーンズ (Ramones)

ラモーンズ
ラモーンズ (Ramones)はアメリカの4人組パンク・ロック・バンド。1974年結成。1976年『ラモーンズの激情』("The Ramones")でアルバムデビュー。1996年解散。

ニューヨークのクイーンズ区に住んでいたジョーイ、ディー・ディー、ジョニー、トミーの4人により結成された。1978年にトミーが脱退しマーキーが加入。1988年にディー・ディーが脱退し翌年C・Jが加入。21枚のアルバムを残して1996年に解散。初期の3枚はロックの歴史に残る名盤と評価されている。1979年に発表した7枚目のアルバム『エンド・オブ・ザ・センチュリー』(フィル・スペクターがプロデュースを担当した)はラモーンズの最大のヒットアルバムとなり、現在も大リーグの試合でこのアルバムの曲が演奏され、アメリカ人に深く浸透している。

その音楽はデビューから解散まで一貫しており、シンプルでキャッチーなメロディー、コードは3~4個、ダウンストローク一辺倒のリフ、ギター及びドラムのリズムは8ビート中心という、極めてシンプルでスピーディーな短い曲ばかりである。トレードマークである革ジャン、ジーンズ、モズライトも解散まで貫き通した。

ラモーンズの評価はアメリカよりもイギリスのほうが高く、セックス・ピストルズ、クラッシュらのロンドン・パンクの先駆者となった。2006年には中南米で人気が盛り上がり、マーキー・ラモーン単独で2万人規模のコンサートが開催された。

セックス・ピストルズ、クラッシュ、ダムドとともに「4大パンクバンド」と称される。また、リチャード・ヘル&ザ・ヴォイドイズ、ジョニー・サンダース&ザ・ハートブレイカーズ、テレヴィジョン、パティ・スミス(パティ・スミス・グループ)とともに「5大ニューヨーク・パンクバンド」と称される。

1980年に初来日。競演したシーナ&ロケッツはかれらのサウンドに惚れこみ、同じアンプを買い求めた。シーナ&ロケッツはその後マーキーと機会あるごとに共演している。のちに芥川賞作家となるミュージシャンの町田康も、同じ年に共演している。

2001年のMTVミュージック・アワードの壇上で、U2のボノがマーキー・ラモーンに「もしラモーンズが存在しなかったらU2も存在しなかっただろう」と発言して敬意を表した。その後ボノとマーキーは何度もステージで共演している。マーキー・ラモーンはほかにエルビス・プレスリーの娘リサ・マリー・プレスリーとも親しい。ラモーンズのリスペクトパーティにはショーン・レノンも出席した。

2001年4月15日、ボーカリストのジョーイはリンパ腺ガンで49歳の生涯を閉じた。世界のメディアは見出しに「パンク・ロックのゴッドファーザー逝く」「パンク・ロックは教祖を失った」と書き、ジョーイ(ラモーンズ)の業績を讃えた。ジョーイは南アフリカの黒人隔離政策に反対する運動「サンシティ」に参加していた(マイルス・デイビスも先んじて参加していた)。

2002年3月18日にラモーンズはロックの殿堂入りを果たした。しかし、その年の6月5日、ベーシストのディー・ディーはヘロインのオーバードーズにより49年の生涯を閉じた。

『End of the Century』は、ラモーンズの初めてのドキュメンタリー映画であり、バンドに関った多くの人々の証言をもとに、ラモーンズの光と陰を記録している。ジョニー・ラモーンはこの映画について「ぼくたちの重くて暗い側面を表現している」と語った。この映画は2003年のスラムダンス映画祭で約2,800作品の中からコンペ部門の28本に選出され、『ザ・デクライン』の監督ペネロープ・スフィーリスの紹介によって上映され、ベスト・ドキュメンタリー賞にノミネートされた。同年5月のロサンゼルス・プレミア上映では、レッド・ホット・チリ・ペッパーズやグリーン・デイなどの有名アーティストが多数出演した。トロント国際映画祭、ベルリン国際映画祭の上映は、メディアで大絶賛された。日本では2004年11月、シネセゾン渋谷で夜間のみの上映を行ったが、昼間の上映も追加するヒットとなった。DVD化されたパッケージでは、メンバーおよび、ロブ・ゾンビ、エディ・ヴェダー、デボラ・ハリー、メタリカ、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、ランシドのインタビューが収録されている。

2003年2月4日には彼らのトリビュートアルバム『We're a Happy Family』が発売され、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、マリリン・マンソン、U2、キッス、メタリカ、ランシド、グリーンデイなど16バンドが参加した。

2004年9月15日、ギタリストのジョニーが前立腺ガンで55歳の生涯を閉じた。……
(Wikipedia: ラモーンズ)