スージー・クアトロ (Suzi Quatro)

スージー・クアトロ
スージー・クアトロ(Suzi Quatro, 1950年6月3日 - )は、アメリカ合衆国の歌手、ベーシスト、ラジオ・パーソナリティ、俳優。女性ロッカーの先駆者。

スーザン・ケイ・クアトロッチオ(Susan Kay Quatrocchio)としてミシガン州デトロイトで生まれる。彼女の父親アート・クアトロッチオはイタリア系であり、母親のヘレン・レベルはハンガリー系であった。

1965年、3人の姉とThe Pleasure Seakersを結成しアメリカ各地やベトナムをツアー。1969年に独立してLAでCradleを結成。1970年6月にデトロイトで歌っている際、ジェフ・ベックのモータウン・スタジオでのレコーディングのために同地に来ていた音楽プロデューサーのミッキー・モストによって高い評価を受ける。1971年末、ミッキーを頼って渡英。

72年7月、ミッキー自身のレーベルRAKレコードからUKにおけるファースト・シングル「Rolling Stone」を発表。フォークソング調の曲でさほど売れなかった。

73年に入ってからハードロック路線へのイメージチェンジのためソングライティングチームにニッキー・チンとマイク・チャップマンを迎え、芸名もSuzie QuatroからSuzi Quatroに変わった。セカンドシングルの「Can the Can」はUKを含むヨーロッパ及びオーストラリアでナンバーワン・ヒットを記録する。続いてリリースされた三枚、「48 Crash」(1973、UKチャート3位)、「Daytona Demon」(1973、UKチャート14位)も大ヒット。この年のUKのBest Selling Artist/Female/Singleの第1位となった。

74年よび「Devil Gate Drive」(UKチャート1位)、「Too Big」(UKチャート14位)、「Wild One」(UKチャート7位)も同様にヒットした。彼女のファースト及びセカンド・アルバムはヨーロッパとオーストラリアで大成功を収めた。日本でも70年代の終わりまで大変な人気があり、77年には大都市だけではなく中都市も回る大規模な日本ツアーを成功させ、日本でのライブアルバムも発表している。

しかしながら母国のアメリカにおいては、1970年代中頃にアリス・クーパーと共にツアーを行うなどの努力をしたにもかかわらず、それほどヒットしなかった。1975年以降彼女のヘビーで妖しい魅力を伴ったスタイルは受け入れられなくなっていった。人気は1978年まで好転しなかった。78年に「If You Can't Give Me Love」されると、同作はイギリスとオーストラリアでトップ10ヒットを記録する。アメリカでは引き続いて成功はしなかったが、1979年にスモーキーのクリス・ノーマンと共に「Stumblin' In」をRSOレコードからリリースすると、同作は4位を記録することとなる。この成功は短期間のものであった。彼女の最後の(オーストラリアでのみの)ヒットは1981年前半にリリースされた「Rock Hard」であった。

1987年には日本のロックバンドBOØWYのシングル曲「Marionette」のB面曲として「THE WILD ONE」をBOØWYのボーカリスト氷室京介とデュエットしたバージョンを発表。しかし、同時にレコーディングした訳ではなく日本で録音したオケをイギリスに送りスージーに歌わせ、その後日本に送り返しミキシングすると言う手法で作られた。

クアトロは1978年に長年バック・ギタリストを務めていたレン・タッキーと結婚した。彼らには二人の子供(ローラ(1982年生)およびリチャード・レナード(1984年生))がいたが、彼らは結局1992年に離婚した。

彼女は現在イギリスとドイツで暮らし、BBCラジオ2で毎週ロック・プログラムのDJを務める。さらに彼女はミュージシャンとしてのツアーも継続している。

2006年2月、彼女はアルバム『Back To The Drive』をスウィートのギタリスト、アンディー・スコットのプロデュースでリリースした。アルバムのタイトル・トラックはマイク・チャップマンによって書かれたものである。

彼女は女優シェリリン・フェンのおばである。……
(Wikipedia: スージー・クアトロ)

 
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